全国に名を馳せる古川祭は、町内にある気多若宮神社の例祭で国の重要無形民俗文化財にも指定されている伝統神事です。
この祭は、神社での神事、古式ゆかしい「御神輿行列」が中心となって、”動”の「起し太鼓」と”静”の「屋台行列」が二大祭事として加わり、
三つの行事群により4月19日、20日の2日間に渡って盛大な時代絵巻が繰り広げられます。
古川祭では、「起こし太鼓」「屋台行列」のみならず、「神輿行列」「獅子舞奉納」「闘鶏楽演奏」も見どころのひとつ。
古川祭を語るなら、これらの見どころは絶対におさえておきたいところです。
祭当日の大まかなながれは下記の通りとなっております。
詳細については特設ページをご覧ください。
873 | 気多若宮神社に従五位下を授けられた(三代実録に所載) |
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1585 | 金森長近・可重父子が飛騨を平定 |
1589頃 | 可重(二代目)が増島城を築き古川の城下町をつくる 可重が府城の鬼門として是重村の杉本社を上北村の本社に合祀 社名を杉本大明神と改めた |
1660 | 高顕院(四代目頼直の妹)が施主で社殿造営 |
1665 | 頼直の病気平癒を願う「絵馬」(社宝)が奉納されている |
1684~87 | 金亀台の健三と伝えられるが定かではない |
1692 | 六代目頼旹の出羽国上山への転封により飛騨は天領となる |
1695 | 初代の飛騨国代官に「祭礼の証文」を提出している |
1753 | 三番叟台の創建という推定が伝えられる |
1776 | 金亀台に屋台建造の「定」がある 三光台に「屋台人形入」の木箱がある |
~81 | 龍笛台に初代屋台建造の伝えがある |
1782 | 本楽に屋台九台が巡行した(飛騨美屋計に所載) |
1804~18 | 鳳凰台が文化年間に備っていたという伝えがある |
1818 | 扇子台はこの頃の創建で三之町全体の所有だった |
1819 | 三光台に「屋台道具預ケ帳」がある |
1820 | 麒麟台に「華萼人形」の木箱がある |
1831 | 文献上では「定式」に「起し太鼓」がはじめて登場する |
1833 | 「算額」(社宝)が奉納されている |
1835 | 殿町組で高山の黄鶴台を譲り受け玄翁台と改名 |
1839 | 三之町が上下に分離扇子台は上組所有になり清曜台と改名 |
1840 | 向町組が弐之町中組より屋台を譲り受け朱雀台と改名 |
1841 | 金亀台の新屋台竣工見送りの天竺織「双龍図」などを京都で購入 |
1842 | 上下に分かれた三之町下組の白虎台が完成した |
1843 | 高山の鳩峰車から買ったからくり人形を弐之町中の杉崎屋彦兵衛が殿町組に寄進した |
1851 | 三番叟台組に残っている猩々緋大幕にこの年号がある |
1858 | 「儀式」に付け太鼓の規制が記されている |
1862 | 三光台が設計蜂谷理八 棟梁石田春皐によって完成 |
1863 | 殿町組の玄翁台の大改築が完成し青龍台と改名 高山の石橋台を人形共々譲り受け麒麟台と改名 |
1868 | 古川町に郷兵の雷電隊・潜竜隊ができ、三光台の屋台ばやしは郷平軍楽隊のはやしを組入れた新作という |
1870 | 社名を杉本大明神から気多若宮神社にもどした |
1871 | 奉納「大太刀」鍛造刀匠は古川の住人山腰喜一郎虎明 |
1872 | 向町組でやたいを修理復興し黄鶴台と改名 |
1873 | 「斐太後風土記」にこの頃の古川祭が詳述されている |
1878 | 「起し太鼓」から「目覚太鼓」に改称「付け太鼓」ということばが「屋台規式」に出てきた |
1881 | 麒麟台組が高山の龍神台を入手、人形を踊らせた |
1883 | 向町組で高山の一本杉白山社から神楽台を譲り受けた |
1886 | 龍笛台が三年がかりで新修し竣工した |
1887 | 前年のコレラ流行により秋祭を春祭にした(四月十六・十七日) |
1889 | 例祭が現在のように四月十九日試楽、二十日本楽となった 神楽台が大改修をした |
1893 | 清曜台が例祭で曳行中転倒大破し、その後改築 |
1894 | 三番叟台が危険になり曳行中止 |
1901 | 十七年間禁止していた付け太鼓を解禁した |
1902 | 雅楽の同好の士の集まりの「東岡社」が発足した |
1904 | 古川大火で三番叟台は大部分を焼失し休台となる |
1917 | 神岡鉱山用の留木でマスを組み大太鼓を乗せた |
1922 | 鳳凰台を六年かけて改築し完成した |
1924 | 闘鶏楽創立の掛軸がある |
1925 | 神楽台を解体し大改修をした |
1926 | 社格が県社に昇格した(明治四年に郷社) |
1929 | 起こし太鼓のヤグラの先を警察署へ押しこみ 総勢二百人あまりが取調べを受けた |
1933 | 九年間休台していた麒麟台が復活した |
1936 | 三つ蔓葵の神紋入り起し太鼓用大太鼓が奉納され |
1938 | 時局の重大性に鑑み起し太鼓を中止 |
1940 | 昭和十二年に決定の青龍台大改築造営が竣工 |
1941 | 清曜台が昭和八年から九年にかけて大改築し竣工 |
1943 | 白虎台の老朽がひどく曳行を中止した |
1949 | 主事を「屋台主事」と「起し太鼓主事」の二本立てにし、起し太鼓主事は市中を四組に分けてつとめることにした |
1956 | 古川祭「屋台」が古川町重要民俗資料に指定された |
1958 | 古川祭「起し太鼓」が岐阜県無形文化財に指定された |
1970 | 古川祭「屋台」が岐阜県重要民俗資料に指定された |
1978 | 麒麟台のからくり人形が復活した |
1980 | 「古川祭の起し太鼓・屋台行事」が国の重要無形民俗文化財に指定された |
1981 | 神楽台で獅子彫刻の取替ほか塗箔・鍍金の大修理 |
1984 | 白虎台が四年かけて大改修し竣工 これを機に踊り台を復元し子供歌舞伎の「橋弁慶」を復活した |
1985 | 三番叟台組で「女三番叟」の人形と舞台を新調 |
1986 | 「特別金弊社」に昇格した(昭和二十一年金弊者に指定) 式年大祭を五月三日より三日間執行(明治八年・大正十二年・昭和四十年にも大祭を執行) |
1991 | 「平成元年の古川祭」刊行 古川町教育委員会 |
1992 | 「起し太鼓の里・飛騨古川まつり会館」落成 |
1993 | 現在に至る |