古川の屋台(やたい)は、神輿行列の露払いの役割を持ちます。
明治時代までは実際に神輿行列の先導をしていましたが、大変な労力が必要なことから、現在は白屋台の名前を記した旗(大名旗)がそれに代わるものとなっています。
古川の屋台は東西文化融合の結晶といわれており、江戸からもたらされた屋台が、飛騨の匠の技量によって高められ、京都のからくり人形が加わることで独自の形となりました。
ここに塗師の技術や京都の金具、織物が用いられて、屋台芸術が花開くことになります。
19日、9台の屋台はそれぞれの地域で曳行(えいこう)されます。
明けて20日は、取決めた場所で屋台が曳き揃えられます。
磨き上げられた漆や彫刻、木彫装飾など、技術の粋を極めた美しさは静げで情緒ある古川の町並みによく似合います。
辻々では青龍台、麒麟台のからくり、白虎台の子供歌舞伎の奉納があり、絢爛豪華な時代絵巻を展開。
夜に行われる「夜祭」では、屋台が提灯を灯しながら曳行します。
小さく揺れる提灯に照らし出された屋台は、日中とは違った表情を見せます。
人形操り「大津絵」 曲 謡曲「鶴亀」
唐子が梯子を持ち出し、福禄寿の肩にもたせかけ上ってゆく。上まで登りつめると、福禄寿の方から小竿が出てから子の腹に突き刺さり、唐子は高くせり上げられる。(梯子を引く)唐子が福禄寿の肩に乗る。福禄寿が右手に持った団扇を左右にあおる。左手の亀の甲が割れ、中から鶴が三尺余の赤い小旗を喰わえて飛び出す。金銀五色の紙吹雪が舞う。人形操り「石橋」 曲 謡曲「石橋」
花かごを捧げ持った唐子が樋の先端まで進み、かごを蓮台の上に置く。かごの中から牡丹の花がせり上がると、唐子は喜んで踊る。何回も繰り返し踊る。やがて身をかがめ、着物の中にかくし持っていた獅子頭をかぶる。着物の紅裏が獅子の油単となり、唐子は獅子に返信してはげしく舞い狂う。紙吹雪が春風に舞う。子供歌舞伎「橋弁慶」 振付 千原千之丞
役者は組内小学二、三年生の男女児童で三組編成し、四月二十日には午前と午後に各組一回ずつ出演する。可憐な演技に人気がある。